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国立感染症研究所におけるチフス菌の実験室内曝露事例

公開日:2025年1月28日

(IASR Vol.46 p16-17:2025年1月号)

はじめに

腸チフスはチフス菌(Salmonella enterica serovar Typhi)の感染による急性熱性疾患である。主な症状として、 潜伏期(7~14日)を経て1週間以上続く39℃を超える発熱、 比較的徐脈、 バラ疹、 脾腫、 下痢などがあり、 腸出血、 腸穿孔を起こすことや、 意識障害や死に至ることもある。最近では、 感染経路として飲食店での食品1-3)、 周囲の保菌者4)、 実験室を介した感染5,6)などの報告がある。

2023年8月15日、 A保健所管内医療機関より腸チフス症例(以下、 本症例)の発生届出があった。本症例は国立感染症研究所(感染研)において、 チフス菌を取り扱う機会があった。A保健所は新宿区保健所および関係自治体へ腸チフス症例発生の情報提供を行った。新宿区保健所は、 感染研および東京都と情報の共有および対応の検討を行い、 8月22日に東京都を通じて感染研の実地疫学研究センター〔CFEIR:実地疫学専門家養成コース(FETP)含む〕へ本症例の感染源・感染経路の検討および再発防止策の提案を目的とした調査支援依頼がなされた。これを受け、 CFEIRは本調査支援依頼に基づき感染研に設置されている病原体等取扱安全監視委員会、 およびバイオリスク管理委員会とは独立した調査を実施した。

対象と方法

症例定義は「2023年7月21日~8月31日に感染研職員および関係者で、 発熱および消化器症状を呈し、 分離培養によりチフス菌が検出された者」、 とした。CFEIRは、 自治体が実施した疫学調査、 接触者調査および検便検査(接触者および希望者)の結果、 感染研の細菌第一部が実施した実験室内の環境ふきとり検査、 チフス菌の生化学的性状およびゲノム解析の結果を収集した。本症例の接触者に対する健康観察はCFEIRが作成した調査票を用いた。曝露が疑われる感染研の実験室内の状況は、 感染研に設置されている病原体等取扱安全監視委員会、 およびバイオリスク管理委員会が実施した立入検査、 厚生労働省(厚労省)が実施した立入検査、 にそれぞれ同行し、 これら委員会が作成した資料の供覧を許され分析した。また、 CFEIRは立入検査で収集が困難であった事項について追加の情報収集を行った。

結果

本症例は8月4日に発熱と食欲不振にて発症した。症状遷延のため近医を複数回受診し、 その後総合病院へ入院した。この入院時に採取した便培養からチフス菌が分離・同定され、 腸チフスの診断がなされた。症状として、 発熱、 下痢に加えて、 腸出血、 肝障害を認めた。本症例は勤務日に実験室で日常的な業務としてチフス菌を取り扱っていた。また、 発症前1カ月以内の海外渡航歴はなかった。

関係自治体の疫学調査により、 本症例が発症前に利用した飲食店では、 従業員や他の利用者に体調不良者や有症苦情を認めず、 一部実施された検便実施者では全員がチフス菌陰性であった。本症例発症前の最終勤務日までに利用した感染研内の実験室、 トイレ、 洗面所等の利用者や接触者等へ実施した検便はすべてチフス菌陰性で、 健康観察期間中に何らかの症状を呈した者はいなかった。

細菌第一部が実施したゲノム解析結果から、 本症例から検出されたチフス菌と実験室で取り扱ったチフス菌は非常に近縁であると考えられた7)

感染研の病原体等取扱安全監視委員会、 およびバイオリスク管理委員会と厚労省の実験室内立入検査で、 以下の項目の不備が指摘された7)

  1. 「個人防護具(PPE)の種類、 着脱方法、 手洗い、 整理整頓」
  2. 「病原体取り扱いエリアの適切なゾーニング」
  3. 「緊急時(曝露時、 盗難時、 火災時、 その他災害時等)の対応法」
  4. 「病原体等の消毒・滅菌方法」
  5. 「その他」(特定四種病原体等取り扱いをするBSL2実験室の監査がなかった)

これらの委員会からは、 さらに以下の課題等が挙げられた。

  1. 特定四種病原体等に関して、 BSL2実験室での検査手順に合わせたPPEの着脱方法、 除染方法、 実験室内における病原体等の移動方法が定められていなかっ た。
  2. 当該実験室の運用方法について監査するシステムが存在しなかった。
  3. 実験従事者が明確な曝露事象を認識しておらず、 医療機関にて取り扱い病原体による感染症であることが認識された。

考察

本症例はチフス菌取り扱い者が感染し、 本症例が利用した飲食店や海外渡航での感染の可能性は低く、 実験室内での曝露による感染の可能性が考えられたが、 明確な感染経路を見出すことができなかった。しかしながら、 本症例より検出されたチフス菌はゲノム解析の結果から実験室で取り扱ったチフス菌と密接な関連があったこと、 実験室内での不備や運用に関する課題が指摘されたことから、 実験室のチフス菌の取り扱いの際に曝露に至った可能性が考えられた。実験室および実験室外の周辺設備内からの感染者はおらず、 本症例以外に感染の広がりは認めなかった。

過去の実験室内におけるチフス菌感染事例では、 無自覚に病原体に曝露された可能性がある事例が複数報告されている5,8)。本事例においても、 本症例は明らかな曝露の認識はなかった。

チフス菌の感染は103個以下程度と少ない菌数で成立しうる9)。また、 実験室の検査における曝露リスクとして、 ピペッティングによる培養液の混合によって生じるエアロゾルの発生、 ワークスペースや手指の汚染などを挙げた報告がある10)

病原体取り扱い者は、 実験室内でチフス菌に無自覚のうちに感染するリスクが存在することを認識し、 安全性の高い検査方法実施の検討や、 適切に病原体を取り扱うことが重要である。

特に本事例では、 病原体を取り扱う際の、 検査手順に合わせたPPEの脱着方法や除染方法を記載したマニュアルの不備、 手洗い・手指消毒の不備が指摘された。海外の実験室内でのチフス菌感染事例6)においては、 感染原因の可能性として不適切な実験室内の手技と実験室の安全管理体制の問題が挙げられていた。一般的に、 実験室での適切な感染防止対策(PPE、 手指衛生等)や実験室における適切な安全管理対策の遵守が感染リスクの低減を図ることになると考えられた。

実験室における病原体の感染リスク低減のために、 平時から病原体に対するリスク評価と、 リスク低減のための管理体制の構築が重要である。具体的には、 病原体取り扱い者に対する教育および安全性の体制整備や、 取り扱い病原体に関連した症状を呈した場合、 職場への報告を行いやすい体制整備等が挙げられる。

参考文献

  1. 関なおみら, IASR 36:181-182, 2015
  2. 市川健介ら, IASR 36:162-163, 2015
  3. 厚生労働省, チフス菌による食中毒疑いの発生について, 平成28(2016)年10月7日
    https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/0000139250.pdf(外部サイトにリンクします)(PDF:573KB)
  4. Marineli F, et al., Ann Gastroenterol 26:132-134, 2013
  5. Broertjes J, et al., Diagn Microbiol Infect Dis 107:116016, 2023
  6. Smith AM, et al., BMC Infect Dis 17:656, 2017
  7. 国立感染症研究所, BSL2チフス菌実験室への臨時立入査察を踏まえた改善について
  8. Alexander DC, et al., J Clin Microbiol 54:190-193, 2016
  9. Blaser MJ, et al., J Infect Dis 142:934-938, 1980
  10. Kupskay B, Applied Biosafety 7:120-132, 2002

東京都保健医療局
カエベタ亜矢 村井やす子 芋川有希 西塚 至

新宿区保健所
小柳 淳 田中健太 小川智詠子 高橋愛貴(現 東京都保健医療局)
寺西 新(現 豊島区池袋保健所)

国立感染症研究所
実地疫学専門家養成コース(FETP)
小野貴志 大野智裕 中村夏子

実地疫学研究センター
加藤博史 八幡裕一郎 島田智恵 砂川富正

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